田舎者とイモの違いについて、ある田舎者の考察

最近この本を古本屋で見つけて読みました。

メランコリー・ララバイ

安西水丸/著

 

安西水丸さんは東京生まれですが子供時代を僕と同じ千葉の海辺の町で過ごしたイラストレーターです。僕は直接面識はないのですが、イラストや文章によく僕らの場所が描かれていてものすごい親近感があります。僕の中のアイドルです。そんな方が書いた本があれば読むのは当然。

 

海辺の町で少年時代を過ごしたにもかかわらず、一目置かれたおしゃれなアイコンとしてファッション誌面なので姿を拝見すると自分のことのようにうれしくなって、立ち読みしている本屋さんで隣の知らない人ですら自慢したい衝動に駆られます。もう僕の中で郷土愛に近い感情です。

 

僕はそんなにだとは思っていませんが、家人が言うには海辺の町で育った人たちはかなり郷土愛が深いそうです。マザコンみたいに見えるんでしょうか。田舎くさいですね。反省。この本な中にも「イモですか」とかかれた場面があります。わたくし田舎で育ちましたがイモはいかんです。

 

「田舎者!」と、ののしられても何も言えずにもじもじしていると思いますが、

「このイモ!」と、ののしられたらぼく相当怒ると思います。

 

ローマの時代ユリウス・カエサルが確かこう言ったそうです。

「貧乏は恥じることではない、ただ貧乏に慣れてしまうことは恥ずべきことだ」

うろ覚えなので詳細は違うかもしれませんが内容はそういうことです。

 

田舎者とイモの違いとご理解ください。

海辺の町で育った田舎者ですが一目置かれた雑貨店になるべく精進します。